GhaSShee


Dear The Young In The Future


手塚治虫 著 (Written by Osamu Tezuka) ● 二十一世紀の君たちへ (Dear the young who live in the 21st century)
- ガラスの地球を救え - (- Save the Earth fragile as glass. -)
# アトムの哀しみ これまでずいぶん未来社会をマンガに書いてきましたが、実は大変迷惑していることがあります。というのは僕の代表作と言われる『鉄腕アトム』が、未来の世界は技術革新によって繁栄し、幸福を生むというビジョンを掲げているように思われていることです。 「アトム」は、そんなテーマで描いたわけではありません。自然や人間性を置き忘れて、ひたすら進歩のみをめざして突っ走る科学技術が、どんなに深い亀裂やゆがみを社会にもたらし、差別を生み、人間や生命あるものを無惨に木津つけていくかをも描いたつもりです。 # IFの発想  ぼくが長い間、『鉄腕アトム』のような未来思考の漫画を描いて来て、よく際限なく未来予測ができるなと思っている読者も多いでしょう。べつに、これはぼくの専売ではありません。だれにだっていくらでもできます。いや、たぶん誰でも常に未来予測をしているはずなのです。  ぼくは、これを〔IFの発想〕と名付けています。”IF”は”もしも”という意味で、ぼくの空想はすべて〔もし〜だったなら〕という発想法にもとづいているのです。 「もし〜ならば」という発想は、人によっては、「そんなことは起こるかどうかもわからない」「夢みたいなことだ」「仮説にすぎないじゃないか」と思うでしょう。たしかに正確なデータだけをたよりに、規制の情報だけしか信じない人がいます。そんな人でも、一寸先は闇、というような生活信条は持っていないと思います。そんな毎日なら、生き甲斐も何もありません。少なくとも今日より明日、現在よりも未来に希望を託していられるから暮らせるのです。  前述してきたように地球の危機という現実をまえにして、たとえ、未来予測がたいへん暗い不安なものであったとしても、それだからこそいま、それに向かって暗く不安な材料を排除するように現実に心掛ければいいのですから、「IFの発想」はどんな人にも生きがいに通じるはずなのです。  しかし、現在「もし……だったら」と想像してみると、とりあえず暗い状況が浮き彫りになってきます。けれども、そこで投げ出さないで、少しがんばって踏みとどまりながら、いっそあれこれ、まず暗い想像を全部してみてしまったらどうでしょう。  すると逆に、その反対のことを想像するのが可能になるし、明るい未来のイメージができてくるような気がします。  そんな想像さえ無駄に思え、ばかばかしく思えてしまう大人の忙しさは、なんとかならないものでしょうか。もっと、一件無駄なこと、余分なこと、はみ出しているようなことを、どんどんやってみるゆとりが欲しいと思います。  無駄や遠まわり、道草を許さない社会は、どう考えても先に豊かさは見えません。合理至上主義は、結局はその社会を疲弊させてしまうでしょう。なぜなら、みずみずしい感性や独創性をもった子どもたちが、育っていくはずがないからです。 「もしも、あなたの命があと一年なら—」 いったい、あなたは何をするでしょうか。 「もしも、あなたの子どもの命があと一年ならー」 いったい、あなたは子どもに何をさせてやりたいでしょうか。 これらは一件、とんでもなく暗いSFですが、その結果、浮かんできたイメージを、実際の何十年かの人生に生かしてみると、全く様相が変わってくるはずです。  ほんとうにやるべきことが、現実的にもできそうなことが、きっとわかると思うのです。 # 宇宙からの眼差しを持て  独断と偏見に満ちた未来予測を一つ述べてみましょう。  日本人は、来世紀には平均寿命が九十歳を超え、八十歳まで働くようになり、また働かざるを得ないでしょう。若者の数が極端に減って、老人大国になるからです。 医療は進みますからほとんどの病気はなくなりますが、脳の老化現象はやはり避けられず、精神障害や老人ぼけの人たちは、綿密な予防処置にもかかわらず増え続けるでしょう。その介護には、もしかすると介護ロボットが活躍するかもしれません。超々性能の知能ロボットが病院だけでなく、家庭や職場にはいりこんで、よいアシスタントをつとめるでしょう。たぶん、彼らはマイ・カーと同じにマイ・ロボ等と呼ばれるかもしれません。  東京は地価の急騰や過密によって次第に首都としての機能を失い、政治の核は、いつか、西独のボンのように、どこか地方の静かな小都市へ移転せざるを得なくなるでしょう。東大はじめ学究の場も、富士山麓とか、北海道あたりにまとまって引っ越すことになるかもしれません。しかし、東京や大阪は、ニューヨークのように、たんなる経済都市として、流通、情報の中心であり続けるでしょう。しかし、さまざまな規制が強くなり、たいへん住みにくい町になっていくかもしれません。  交通網は、全国的に極度の発達を見て、各地の幹線道路は網の目のように交錯し、その結果、各地域産業は振興しますが、同時にどの地方都市もステロタイプ化して同じような都市構造を持つ、特色のないものになっていくでしょう。その反面、開発工事によって自然林はますます破壊されて、日本全土のおよそ50パーセントの緑は失われてしまうかもしれません。これは人口増加と地域産業の振興を図ることを第一義とする結果、避けられない悲劇です。  男女均等法が徹底して、職場での女性の幹部進出はめざましく、少なくともアメリカなみのキャリアウーマンが誕生します。しかし同時に育児を他人まかせにする母親が増えて、結果として、従来の家庭というもののイメージがかなり変わってくるかもわかりません。  日本は、各国との経済摩擦その他のトラブルで、一時、八方ふさがりの状態になるかもしれない。そうなると、各企業は規模縮小を止むなくされ、雇用関係が厳しくなるでしょう。失業者が最悪のときは、20パーセント以上に及ぶかもしれません。同時に、韓国や中国等の隣国の発展に脅威を感じ始めるでしょう。アジアの国の多くは、日本がもたついているうちに強力な国際的地位を築いて、競争国となっていくでしょう。そうなると、日本はすべての門戸を外国に向かって開かざるを得ず、結果的に日本の複雑な流通機構は、根本的に改革せねばなりますまい。  しかし、日本人の懸命な処世術、これらの難関を巧妙に切り抜けて、再び繁栄に導くでしょう、貿易のみならず、人材を各国に大量輸出して、国債社会人として地位を築くでしょう、ある時代の架橋のように。  その頃には、東京ーロンドン、東京ーニューヨークが一日で往復で着るような成層圏旅客機が実現しています。日本など、北海道から九州まで一時間足らずで行けてしまうような単位になります。そうなると、日本のめざすものは、宇宙への進出です。  アメリカのスペースシャトルはご存知のとおり地球外での基地建設の輸送機です。来世紀に入ったころ、アメリカは最初の宇宙ステーション建造に成功しているでしょう。日本はそのころ、半導体産業で世界を凌駕し、宇宙ステーションにも当然日本の機器が使われます。金持ち日本としてはつくらざるを得ないでしょうから日本も、アメリカに続いて、日本製宇宙ステーションの建造計画にはいるでしょう。  宇宙ステーションは、宇宙コロニー、つまりいわばひとつの独立した村です。いや、国といったほうがよいかもしれません。  そこでは、地上とは、まったく別種の法律やしきたりが支配するのです。なぜなら、そこに住む人は、地上の常識とは無縁のー異質な環境で暮らさなければならないからです。たとえば水をとりあげても、「限られた水」という観念が優先するでしょうし、自然界というものに包まれず、コンピュータと共存共栄の世界に住むわけです。  もし、そこに長年赴任していればカップルも生まれるでしょうし、子どもに恵まれることもあるでしょう。そんな子どもは、生まれた時から地球を見下ろす、文字どおり宇宙人なわけです。 「われわれの論理は、どうしても人間中心になります」これはガモフ(Gamow George 1904~1986ロシア生まれでアメリカの物理学者)という学者の宇宙論からきた言葉ですが、「人間性原理」という考え方があります。われわれの住む地球はじめ宇宙を、すべて人間中心に考えるという論法です。この論理によってこそ、自然破壊や資源の食いつぶしを果たしているのだといって間違いありません。  生まれながらに、地球という天体を外から眺めながら育った子どもたちは、その天体に棲む何十億という人間を、万物の霊長だとは見ないにちがいないと思います。きっと他の無数の生きものと同等に、一介の生物として考えるでしょう。  その地球を、乱開発したり荒廃させたりという人間のエゴイズムを、彼らは黙認はしないと思うのです。  実際、アメリカの宇宙飛行士の多くが、月面から、宇宙から、初めて地球を眺めることによって、いかにそれまでの自分の人生観が変わったかを述べています。  科学の最先端にいた彼らが、紙を感じたり、伝道者になったりもしています。宗教はともかくとして、彼らが、暗黒の宇宙にぽっかりと浮かぶ青く輝く地球を見たとき、そのかけがえのなさに打たれたのではないでしょうか。  大宇宙の孤独に耐えて、ガラスのように壊れやすく、美しい地球が浮かんでいる。  戦争の爆弾の火や、緑が後退して砂漠化が進む荒廃ぶりなど、まるで自分が紙のように眼下に見えてしまう衝撃。  そして、人間のはかなさが手に取るようにわかってしまうのにちがいないのです。  宇宙の果てしない闇の深さにくらべ、この水の惑星の何という美しさでしょう。それはもう、神秘そのものかもしれません、  ひとたび、そんな地球を宇宙から見ることができたら、とてもそのわずかな大切な空気や緑、そして青い海を汚す気にはなれないはずです。  だから、ぼくは宇宙ステーションや月面で生まれ育った子どもたちに期待しているのです。  彼らは生まれながらに、宇宙での人間の小ささ、力を合わせていかねば生きられないこと、そして、人間が一番偉いのではないこと、眼下の地球に生きる動物も植物も人間も、みんな同じように生をまっとうし、子孫を生み続けていく生命体であるのだと、まっすぐに受け止めることができるでように思います。  きっと彼ら未来人、そして宇宙人でもある子どもたちは、新しい地球規模の哲学を携えて、地上の人々に警告を発するでしょう。  その時こそ、やっと人類は宇宙の一員になれるのかもしれません。  以上は、マンガ家の僕の独断と偏見に満ちた未来予測ですが、誰でも試すことができるし、マイナスの予測がつけば、是正するために、夢や生きがいとして未来へつなげていってほしいと思っています。  いまの子どもたちだって未来人、宇宙人です。冒険とロマン、宇宙の神秘と謎、ー追求すればするほど、ますます夢は彼方へとふくらむのです。  IFーもしも、ぼくが、わたしが、宇宙からの眼差しを持ったなら、想像の力は光速を超えて、何万何千光年のはるかな星々にまで瞬時に到達できるでしょう。  その想像の力こそ、人類故の最高に懐かしいエネルギーなのです。