GhaSShee


Landscape


Written by Ghasshee # 良好な景観の形成について 良好な景観の形成とあるが、これはどういうことか。 景観法第一条によると、「美しく風格のある国土の形成、潤いのある豊かな生活環境および個性的で活力のある地域社会の実現」とある。第二条にはもう少し事細かに書かれていて、良好な景観は「地域の固有の特性に密接に関連するもの」「観光その他の地域間の交流に大きな役割を担うもの」またその形成とは、「現にある良好な景観を保全することのみならず、新たに良好な景観を創出することを含むもの」とある。 これは風格ある住まいの形成から、活気ある村やまち、また美しく個性的な都市の実現へと、人間のより良い暮らしをテーマに住まいの枠から、むら・まちをたどり、都市、国土の枠まで広げていったものである。これは人間が人間たる幸せな美しい暮らしを追求したものである。 つまりここでいう良好な景観とは、人間が人間たる幸せな暮らしを営んでいる。その風景(景観)のことである。よって建築家(以後「建築にかかわるもの」と建築家を同義とみなす)のなすべき役割は、日本人が日本人たる幸せな暮らしを営むための風土的建築を創作することである。これを理解せむとするには、われわれ日本人の特質について知ることは不可欠である。 人間の気質・性質というのは和辻が示したように風土的である。 風土とは、たとえばその土地に特有な寒さに耐え得べく独特の様式に家を作る習慣というように、人間の精神構造のうちに刻まれているものであり、人間学的風土なのである。また歴史とも表裏一体の存在で、歴史と独立に風土がその土地に入り込むなぞありえず、よって歴史的風土なのであり、風土的歴史なのである。 日本人の風土的構造の間柄的表現は「家(うち)」である。世間=外と区別される 内において、隔てのない結合を享受するのである。 # 個々の建築 全体としての景観を考える前提として、まず個々の住まいにおける良好な景観を考える。 日本的住まいとは木に根ざしたものである。木造建築は、湿潤なれば水分を吸収し、乾燥なれば放出するといった具合に、日本の突発的でめまぐるしく変化する湿潤な風土において、歴史的に形成された。特に、法隆寺をはじめとした、千年もの時を耐えしのぐ寺院建築群は賞賛の一言である。これは木材の特質を歴史・風土的に知っていたが故可能な、鉄ねじ一本使わずに立てられた建造物である。礎石の上に直に柱を立てたが故、スライドすることで地震に対抗しうる、また其の屋根の重厚さが故、安定した建造物なのである。 何故に寺院建築が優れているか、その所以はほかにあると私は考える。それは日本特有の連句のごとき建築なのだと思う。古き時代に立てられた古建築は、火災や腐朽などにより、多度の部分的・全体的再建を必要としたであろう。古き時代に立てられた、建築がまったく新しい別の時代の人の手によって再建される、寺院建築の連句たるところは部分的再建が可能であり、古い柱と新しい梁や桁が織り交ざって共存していてかつ違和感がないのである。このなんとも日本人らしい建築こそがわが国の建築の骨格とならなければならないのであり、建築家は寺院建築にもっと多くを習わなければならないと思う。我々の風土とは、千年もの風土的歴史が肯定するように、寺院建築に根ざしていると考える。 明治期に欧州の町並みに憧れ、石造建築を模倣したが、我々の模倣は不完全であった。そもそも欧州人の居住空間概念は、日本のうちの概念と根本的に異なる。欧州では町を城壁で囲い、自分の生命を脅かす外敵に対して共同で戦う。隣人を脅かすものは今度は自分の恐怖となり得、従って、町全体が結束し強く結びつかざるを得ない。欧州の内なる空間は城壁中広がり、したがって、町並みはうちのなかという意識が強く、整然と美しく保たれている。垣根でうちと外をへだてた日本では道路や町並みは外の空間であり、外には関心がないのである街並みである。 現代における日本のうちは少し様子が変わってきている。資本主義つまり経済的利害による個人活動に重点をおいたものの介入により家制度が崩れかけているのである。隔てのない結合を享受した家族は、個人ありきの家族へと変貌しつつあるのである。戦後に公営住宅としての51Cとして称され、今はnLDKという形で、マンションなどによって鉄の扉によって完全なる密閉された個室として普及しているものが、かかる家制度の崩壊と密接に関わり得るのではないか。よって建築家は家の扉を木で作らなければならない。 欧化政策や現代の鉄筋コンクリート建築は長い歴史における日本人の突発的な憧れが生んだものであると私は思う。ゆくゆくは木造建築というもとの鞘に収まっていくのである。そのためにも時代の流れを解した新たなる真の木造建築を打ち出していかなければならない。それは、家制度の崩壊から個々ありき家となるような、変化を伴うのである。建築家はこの変化を見逃してはならない。 私が考えるに建築家が模倣しなければならないものは、その日本における外つまり街並みをうちとする感覚である。その第一段階の建築例として、家の前の空間を内なるものとして取り入れられる建築である。マンションの廊下を内なるものとして取り入れられる建築である。すなわちマンションの廊下は靴を脱いで歩くべきなのだ。廊下は木でできていなければならない。廊下との途中にベンチがあり、小さなテーブルと椅子がある。一階にはカフェがあり、そこへも靴を履かずにいける。そのような建築を作り上げていかなければならない。 ## まち 次に、村やまち、都市について考える。美しい都市及び農山漁村の景観とはなんであろうか。東山魁夷の風景画は日本国民が美しいと認めうるものであろう。彼の絵を見て私が感じたのは秩序が認められうるということ。ただ秩序があるのみではなく、其の秩序は人工的ではなく、あくまで自然の中において自然であり、抽出されたものである。 彼の作品「郷愁」は、三層の帯状の風景と分けられる。上層から空、山、川辺である。空は蒼、山は木々の青による統一という秩序があり、川は両岸に自然堤防をもちある一定の地形が川沿いに続いているという秩序を持っている。また、其の両岸に道を作り、住宅を列状に並べ、木々の列植をせしめ、橋を架けしめるといった可能性を秘めていると考えられる。これらの列植や住宅や架橋は遠くに行くほど小さく見え、比例という秩序が現れる。また川は遠方を眺めしめ、川の水は風景を反射せしめ、対称を生み出す。 「年暮る」では地上五階ほどから眺めたであろう京都のまち並みに降り積もる雪が白の統一を生み出し、手前には道が走り、道に沿った列植、屋根の統一という秩序をはぐくむ。 「晩鐘」では街の中央にそびえる塔が天と地とを結びつける。天平面と地平面は、塔が天空に突き刺さることにより、結び付けられていると考えられる。港に停泊する漁船の列もまた遠近により比例を表し、遠くから見れば統一を表す。これらの風景は細部は非常に繊細で自然的なのである。 ここで絵画というある景色を抽出し理想化されたものを景観と考えたのは、そもそも景観がわれわれの見るという行為を媒体にして、われわれの頭に残された理想化されたものであり、われわれの思い浮かべる「景観」と絵画に表された風景は全く同質のものであると考えるが故である。 建築家として、塔は建造できる。だから塔のない町には、塔を作ってやる事は建築家のひとつの役目であると考える。塔でも天との接近を考慮しその先端は細く尖っていて、まるで天に届いているかのようなものが良いと思う。 建築家としては、山、川、田畑などは建造は困難である。これらは長い歴史における植林や間伐、田畑にみられる人間の手による、絶え間ない生の営みの結晶なのである。その土地土地における、これらの要素の特質を見抜き生かしてやることこそが、つまりその土地の本質を見抜くことが建築家の役割なのである。 日本の都市には、イタリアに見られるような、入れ隅の空間がない、広場が存し得ないのである。アメリカに存するような、ポケットパーク、サンクン・ガーデンが存しないのである。住まいの問題点でも述べたように町並みに対する関心が非常に薄いのである。 景観行政はかかる町並みの問題を建築・造園・都市デザインの三つの観点から考え直さなければならない。よって景観行政に建築家を派遣しなくてはならない。行政に携わって、そこで建築たるものを主張してくる必要がある。 # 教育 教育における風土的建築の重要性についても語りたい。 和辻は風土において、人間の精神構造にきざまれたるものとして風土を扱った。つまり風土が人間の精神構造を左右し決定づけると考えられる。人間の精神構造を形成する過程は、教育である。その教育の決定を下すのが風土であるというのだから、風土の教育における役割は甚だ重要である。かの有名なガウディ、ミロは同じバルセロナ出身でミロの幼少時代にはガウディの建築が周りを取り囲んでいた。ミロは絶えずガウディの影響を受けていた。ミロの作品にガウディの建築の一部の図と思われるものが見受けられるのである。ピカソもまた、同様にバロセロナで時を過ごし、その影響を受けている。 私が考えるに風景(景観)というものは画家が創出するものである。画家の描く行為なくして風景は生まれ得ないのである。つまり良好な景観というものも画家の発見により生じたものと考える。偉大なる画家を創出することは、良好な風景(景観)の創出につながりよって建築家は偉大なる画家を創出せしめる芸術的建築を立てなければならない。 幼少時代の環境は、大きく人間の精神構造に訴える。よって教育機関の建築は、美しく芸術的でなくてはならないと考える。また日本においてそれは木造でなくてはならないと思う。特に幼稚園、小学校などは必ずである。日本中の全ての幼稚園及び小学校建築を木でかつ芸術的に作らしめることこれは建築にかかわるものの重大な使命の一つでなければならない。日本の文化を肌で感じさせるのである。木文化の人間を育てるのである。 以上から察するに私の考える「良好な景観」とは、建造物の概観という意味での絵画的要素も重要であるが、同時に風土的あるいは教育的観念において人を育てるという要素がなければならないものだと考える。建築家は、日本の内なるものを街並みにまで広げうる構造をもち、かつ芸術性や木文化を人の精神構造のうちに刻み込むような建築を作るべきなのであると考える。 建築にかかわるものの役割は建築をつくることである。音楽家が音の極みによってのみ人々を感動させるのと同じで、我々は建築の極みによって人々を感動させあるいは和ませ、時には活気づけ、同調するのである。以上にあげた、いかなる思索をしてもそれを何かしらの方法で表さねばならぬ。建築家の場合、それは建築においてもっとも顕著に現れるのである。 我々は先人の遺産を享受しているのである。我々の使命は先人に習い、後生に伝えることであるが、先人の残したる遺産などは到底学びつくせない。したがって我々は生涯勉強し悩みつくし、必死になって後世に残すのである。日々精進して学ぶのである。 # 参考文献   - 和辻哲郎 『風土』 岩波書店 1979 - 芦原義信 『街並みの美学』 岩波書店 2001 - 松倉保夫 『ガウディの設計態度』相模書房 1978