GhaSShee


Japanese City


Written by Ghasshee Architect 日本の都市を歩けば、時折、町並みは「カオス」として瞳に映る。 イタリアの都市においては、秩序ある歴史的町並みが都市の中に残っている。 屋根の高さがそろっている。屋根は赤色の瓦で統一されている。石造の建物と石畳の道の両者の間に存する素材の統一という秩序がある。町の真ん中に広場と教会があるという秩序がある。天と地を結びつける塔が存在する。広場が存在する。石畳の道であるが故、車どおりは少なく、人間の住みやすい、歩くことを前提としたヒューマンスケールの町並みがそこにはある。 この両者の違いは何であるか。 Walking around Japanese cities give a reflection of chaos on your eye. Italian cities, such as Firenze have orders and there leaves historical regions as what they were in points of the history. The height of roofs are the similar, the color of roof is the same, especially with red roof tiles. Buildings made of stones and streets made of stones gives us the beauty of unification of materials. Each city has at least a piazza and a church, which is also a kind of order, which ease our mind. There is a tower which connects the sky and the land and it is very thin. The streets made of stones are less full of cars, and therefore we padestrians or children can play and live there. It is a good human-scaled life space. What is the difference of the situations between that two countries? # 風土 風土とは和辻が述べるように歴史的風土であり、長い歴史の中に育まれ続けている。 日本とイタリアはほぼ同意度にあたり、周りを海に囲まれている。 共に北に、寒冷地を持つ。 日本は、島国であり、冬には親潮の影響を受け、夏には、黒潮の影響を受け、 海流がぶつかり、湿った風土を形成している。 イタリアは半島であり、北からの海流はなく、年中安定した、地中海性の乾燥した気候である。 地震がおこり台風が大雨をもたらす日本には古くから木の建造物が作られた。 木は湿気に対して柔軟で、乾いているときには、湿気を排出し、湿気ているときには、それを吸収する。 平城京・平安京の建物から江戸期にいたるまでは、建物は木造である。この時代の木造は通気性がよく、現代の木造住宅とは大きく異なる。ここ最近の住宅では、柱の周りを外装材や内装材で囲ってしまい、床下の空間は閉鎖してしまうといったきわめて通風性の悪いものであり、当然のごとく、腐朽、虫食いを招き、柱が食い尽くされ、老朽化、倒壊を招く。これは自然のルールを無視した木造建築物なのである。和辻哲郎の著書風土に示された「歴史的風土」という概念からもわかるように、日本の風土とは、1千年もの歴史が肯定するように木造建築にある。 さて、このように、日本の都市の特色として木造であることからみれば、今の日本の都市の鉄筋コンクリート建築群は日本の風土と全く異なるものである。鉄筋コンクリート建築は型にコンクリートを流し込む方法を取るので、全体が連続し、継ぎ目というものが存在しない。従来の木造や石造では、地震などの揺れに対して、継ぎ目の部分の不連続性、あるいは地面と柱との境における不連続性の結果生じる摩擦によって地震のエネルギーが吸収される。鉄筋コンクリート造では、それがなく、ひび割れが生じやすく、一回の地震で、その建物はダメになってしまう。また、連続しているため、部分的改修というのは難しく、建物全体の取り壊しにつながる。材料の再利用も難しい。この結果として、建物がほんの数十年のスパンで建て替えられ、新しい建築が無秩序に立ち並んでいくという現状を生み出している。 # そと・うち 日本人のうち・そとの区別が街並みを「カオス」化するのに貢献している。 日本人の意識として、「うちはうち、外は外」というのがある。和辻は著書「風土」の中で次のように示している。 最も日常的な現象として、日本人は「家」を「うち」として把捉している。家の外の世間が「そと」である。そうしてその「うち」においては個人の区別は消滅する。妻にとって夫は「うち」「うちの人」「宅」であり、夫にとっては妻は「家内」である。家族もまた「うちの者」であって、外の者との区別は顕著であるが内部の区別は無視せられる。すなわち「うち」としてはまさに「隔てなき間柄」としての家族の全体性が把捉せられ、それが「そと」なる世間と隔てられるのである。このような「うち」と「そと」の区別は、ヨーロッパの言語には見出すことができない。室の内外、家の内外を言うことはあっても、家族の間柄の内外を言うことはない。日本語のうち・そとに対応するほど重大な意味を持つのは、第一に個人の心の内と外であり、第二に家屋の内外であり、第三に国あるいは町の内外である。  すなわち精神と肉体、人生の自然、および大きい人間の共同態の対立が主として注意せられるのであって、家族の間柄を標準とする見方はそこには存せぬ。かくしてうち・そとの用法は日本の人間の存在の仕方の直接の理解を表現しているといってよい。 芦原義信氏によると、われわれ日本人の「うち」は家であり、家の外の世間は「そと」であるということを建築の空間領域的に見直すと、靴をぬいでくつろいでいる空間は「うち」であり、靴をはいてる空間は「そと」であるということになる。 こうしたうち・そとの区別により家の中はきれいにするが、家の外はよそ、そとの空間は「そと」であって、自分のうち空間に属さないのでどうでもいいのである。 ヨーロッパではこれに対し、城壁で町を取り囲み、共同態の大きな敵にむかって戦う準備をしている。城壁内の住人はすべて共に命授け戦う仲間であり、よそのものではないのである。城壁全体がうちとなる。その証拠にヨーロッパ人は朝起きると自分の部屋を出て、近所のカフェで朝食をとり、広場で談笑するのである。われわれが家の内部で行っている事を町全体に広げて行っている。  日本人はかくしてうちなるものを独立させてしまった。すなわち、自分のものはうちだけであり、他には興味がない、家の周りは垣根で囲う。隣の家が古い町屋であろうと、そこはよその土地なのであって、自分の土地とは関係がないからマンションを建てる。鉄筋コンクリートの家を建てるのである。こうした一軒一軒が独立し、街の中の文脈を捕らえずに、おのおのが別個体として勝手に育っていったのである。その当然の結果として無秩序な街並みができている。  日本の街には、広場がない。その広場的機能を果たしていたのはかつて道であった 。京都や奈良をはじめその他様々な地域で平城京や平安京のような区画制度によって、町が整備され、今でもその跡が残っている。明治に欧化政策が進められ、海外から車を輸入するまでは、そのだだっ広い道は広場の機能を果たしていた。買い物途中の主婦や仕事途中で知り合いにあった男たちの談笑や商売、客引き、いろいろなことが行われていたのではないかと思う。またほかにも様々な可能性を秘めていた空間であったのではないだろうか。 車社会が到来し、日本の都市は隅から隅まで、アスファルトで押し固められてしまった。青灰色のアスファルトが均一的に日本全国を覆ってしまった。広場的空間を成していた道は車に奪われ、人々の談笑・交流の場が失われた。その結果として、ますます、道は外のものとして、うち・そとの分離が加速したと考えられるではないだろうか。うち・そとの間に強烈な境界線が存在する。これが日本の都市の特色であり、「カオス」を生み出しているといえよう。 # 観光産業 観光産業、その字のとおり見られることを目的とした産業であり、町並みが見るに値するものでなくてはならない。そして美しくなければならない。逆に言うと、美しく見るに値する場所であれば、人々は集まるし、場所を選ばない。観光業は都市を選ばない。また地域ぐるみの、周辺環境の美化が不可欠となる。また観光客は時間に余裕があり、歩く。時間に追われ、車でビュンビュン移動しない。ヒューマンスケールの街づくりが可能なのである。観光客は食べるので飲食業が発展する。ホテル業が発展する。観光客は道を歩くので、商人は建築空間内部から道にまではみ出して、接客し、道をきれいにしておく。外に目が向くのである。 日本で言えば、飛騨高山の街並みなどがそうであろう。観光産業を中心とし、人々の目が街並みに向き、町がきれいに保たれている。百年単位の歴史を持つ、2階建ての町家が道の両側に連続し、道はアスファルトではなく、歩くための道として、建物となじみ美しい景観をかもし出している。京都においても部分的ではあるが、祇園や清水寺方面へ行けばそういう地域が残っている。 日本では、大都市には、企業の本社が置かれ、パソコンで情報のやり取りをして、といったぐあいに、商売が全く、建築空間のうちでのみ行われる。人々の意識がうちにとどまり、外には向きにくいのである。この結果、街並みを守るという概念が薄れ、資本主義の中で、高利益を生み出すマンションや高層建築が無秩序に立ち並ぶという結果を生み出したのである。 以上に述べたように、日本の都市の特色とは、カオスであり、欧化政策や資本主義といった時代の流れとともに日本人の根底たるうち・そとの感覚が生み出したものであると思う。 # 結び カオスから天と地がうまれ、星が生まれたように、自然とは本来カオスたるものであ って、人間の営みがつくりだした都市がカオス的なのはもしかしたら当然のことなのかもしれない # 参考文献   - 「風土」     和辻哲郎 岩波出版 - 「街並みの美学」 芦原義信 岩波出版